回向院と観臓記念碑 

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昨日3月4日はかの解体新書を翻訳した杉田玄白と前野良沢、中川淳庵が死刑人の腑分けを見学した記念すべき日(1771年)でした。今日3月5日はその翌日、築地鉄砲洲の前野良沢邸に集合して「解体新書」の翻訳の始まった日であります。

腑分けは、当時今の南千住駅周辺に広がっていた小塚原(骨ケ原)刑場で行われました。現在ではこの刑場跡に回向院(写真上)というお寺と、線路の反対側にお地蔵さまがあり、往時の刑場の歴史を残しています。

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このお寺の墓地入口右側の壁に観臓記念碑が日本医師会などの手で飾られています(写真上)。解体新書の扉絵に使われた図案をレリーフにしたものです。

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上の写真は観臓記念碑の説明文です。拡大して読んでもらえばわかりますが、腑分け見学のいきさつ、「解体新書」の始まり、その意義などについて書かれています。

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墓地は最近大きく改装(改葬)されました。以前はこの刑場で亡くなった江戸時代の有名な人たちとそれ以後亡くなられた最近の方たちとが混在していましたが、昨年の改装で有名人のものは右奥に固めて埋葬され、いつでも見学できるようになっています。見学者や観光で来られる方々への配慮かと思います。

上の写真奥の墓は有名な吉田松陰のものです。安政の大獄で死んだ幕末の思想家です。すでにこのブログでも松下村塾で紹介してあります。

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上の墓標は左が、義賊ねずみ小僧のもの、右から2番目は明治時代の女性死刑囚高橋お伝です。いちばん右はやはり盗賊であった腕の吉三郎のものです。

ここにはこのほかにも歴史上の人物が多く葬られていて、江戸時代の一側面を知ることのできるスポットになっています。

この記事へのコメント

かぐら川
2008年03月05日 23:48
「解体新書」、読み返す機会を与えてくださって、ありがとうございました。
松戸解剖
2008年03月06日 09:01
かぐら川さま、ありがとうございます。

解体新書の現代語訳、そのうち紹介しようと思っています。我々にとっては原点のような書物ですが、読むたびに新たな発見がありますね。

ヒューズ
2008年03月06日 11:18
 回向院の脇の道をテクテクてくと歩いて行くと、三ノ輪橋界隈にでます。有名な、そば屋、南千住砂場のある商店街です。
 昔々、松尾芭蕉の頃は、ここ千住の宿が、北への玄関口でした。あぁ上野駅よりずっと昔の話ですね。
 一時期は、単なる古い街だったですが、つくばエクスプレスも開通したりして、昔の賑わい(私は知りませんが)が、少し戻ってきたのでしょうか。
 でも、都電が残ってたりして、風情のある街だとおもいます。
 そんなこんなで、ここ回向院周りの千住や鈴が森界隈をぶらり旅もいいですよね。
松戸解剖
2008年03月06日 18:18
ヒューズ殿

いいですね。南千住。私も好きです。生活感が濃密ですね。ただ、線路渡って、泪橋方面へ行くと怖いですね。こちらは私の庶民感覚を超えます。
ヒューズ
2008年03月07日 10:29
 いわゆるサンヤですね。ある意味、一見さんお断りの雰囲気むんむんしてる所ですよね。「明日のジョー」の舞台だそーです。
 でも、最近は、リーズナブルなお宿を求めて、外人さんのお客さんが多いらしいですよ。外国語のホームページもありますし。
 
 鈴が森にも、泪橋という名の橋があったらしいですね。
 
(三途の)川を渡って、あの世(刑場)に行くって感覚は、やはり日本人のものなのでしょうか?罪人でもなんでも、命は命ですよね。
松戸解剖
2008年03月09日 10:39
ひゅーず殿

ああそうですか。外国の若い人たちにとってはサンヤの歴史も関係ないから、安くて日本的な宿ならいいかもしれませんね。

その先にヨシワラ。そしてアサクサ。江戸時代そのものですね。

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